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東京地方裁判所 昭和31年(ワ)9778号 判決 1957年12月23日

原告 石井勘吉 外一名

被告 昭光化学工業株式会社

主文

被告は原告両名に対し各別に金三十五万九千五百十七円及びこれに対する昭和三十一年十二月二十九日から完済まで年五分の割合による金員を支払うこと。

原告等その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告等の負担とし、その余を被告の負担とする。

この判決は、原告各自において金十万円の担保を供するときは、第一項に限り、仮りに執行することができる。

事実

第一、請求の趣旨

被告は原告両名に対し、各金九十万五千六百二十円及びこれに対する訴状送達の翌日(昭和三一年一二月二九日)から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに担保を条件とする仮執行の宣言を求める。

第二、請求の原因

一、被告は昭和二十八年四月以来肩書地に工場を有し、そこで主として過酸化ベンゾールの製造を業としている。

原告等は夫婦であつて、その三男石井光夫は昭和二十八年五月以来被告に雇われ、右工場で働いていたものである。

昭和三十年一月二十日午後四時三十分頃、被告工場内の乾燥室なる建物の一隅(旧精製室)において過酸化ベンゾールの爆発事故を起し、出火となり、同時に別棟の精製室に引火爆発し、同所において作業中の石井光夫は爆発ガスによる一酸化炭素の中毒によりその時同建物内で死亡した。

二、右爆発事故並びに石井光夫の死亡は、被告の工場建物の設置保存に瑕疵があつたことに因つて生じたものである。

即ち、過酸化ベンゾールは極めて引火性、発火性が強く、これが分解するときは易燃性のベンゾール化合物に変化し、必然爆発を伴う危険物である。

されば、労働基準法第四十五条に基く労働安全衛生規則第百三十七条は爆発性、発火性若しくは引火性の危険物を貯蔵し集積し、又は取り扱う設備は、火災又は爆発防止のため適当な構造としなければならない、と規定している。更に、消防法第十条及び同法別表によれば、過酸化ベンゾールは危険物であり、五〇キログラム以上の過酸化物は貯蔵場所及び取扱場所が制限され(事件当時工場には乾燥中のもの、粗製品及び梱包のものを合して四二六〇キログラムあつた。)、その場所は同条第三項でその位置、構造及び設備が制限され、その必要事項は市町村条例で定めることになつている。そして、危険物取締条例(東京都条例第九十七号)第二十三条、第二十四条によれば、危険物の製造、貯蔵場所は、

1  建物は平家建かつ専用なること、

2  壁体、柱、床、隔壁及び屋根等の主要構造部分は耐火構造とし、屋根は軽量な不燃材料とすること、

3  出入口のとびら又は窓にガラスを用いる場合は網入りガラスとし、かつその外部に甲種防火戸を設け有効な採光及び換気の設備をすること、

と定められている。又、同条例第一条第九号によれば、耐火構造とは、

一、鉄筋コンクリート造 二、コンクリート造、コンクリート中空ブロツク造、れんが造又は石造、三、その他一、二、と同等以上の耐火力のあるもの、と定められている。

従つて、被告は工場の建物につき前示法令の規定に適う構造設備を施すべき義務があるに拘らず、所轄蒲田消防署へは塩化ベンゾールの製造届出をなし、同署における前示諸法規による指揮監督を免れ、従つて、建物の構造は極めて不完全であつた。

即ち、最初に爆発事故を起した建物は平家建なるべきに二階建であり、専用なるべきに乾燥室、旧精製室及び加水分解室の共用となし、その中旧精製室内においては右製品の貯蔵所と取扱所とを兼ねていた。さらに、建物は耐火構造であるべきに木造であり、非常口、網入ガラス戸及び甲種防火戸の設備をなすべきにそれらをしてなかつた。又、石井光夫の作業していた別棟の建物(精製室)も平家建なるべきに三階建であり、耐火構造なるべきに木造であり、非常口、網入ガラス戸及び甲種防火戸の設備もなかつた。

かくて、本件事故は旧精製室において発生し、隣室の乾燥室及び加水分解室を同時爆破し、更に七米離れた別棟の精製室をも爆破し、同建物の三階で作業中の石井光夫は逃げきれず、階下において前記のように中毒死した。

もし被告が前記法令に従い工場建物の構造設備に万全の措置を講じていたならば、右のような大事故は未然に防止し得たであろうし、又、法令に定める構造であつたら、乾燥室で爆発事故を起しても七米離れた別棟の精製室にまで被害が及ばなかつたであろう。仮に及んだとしても規定どおり平家建であつたら石井光夫は容易に逃避し得た筈である。

従つて、被告は民法第七一七条の規定によつて右事故に因つて生じた損害を賠償すべき義務がある。

三、なお、択一的請求原因として、民法第七一五条による使用者としての責任を主張する。

最初に爆発事故を起した前記旧精製室は、別棟の精製室から来る未乾燥の過酸化ベンゾールの一時的な置場に使われ、かつ簡単な分離槽をおいて同所で瀘過作業が行なわれていた。右作業はすこぶる原始的方法であつて、瀬戸製の直径一尺位の円盤に穴が一面にあいているいわゆるヌツチエと称する器物の上に紙をしき、これを分離槽の上にのせ、このヌツチエの上に粗製過酸化ベンゾールとトリクロールエチレンとの溶解物をあけると、結晶体のが上に残り他はヌツチエの穴の下の槽へ落ちる仕組になつている。ところでこのヌツチエの上に残つた結晶体を他の容器にあけるとき、なお若干ヌツチエに付着しているので、これを落すために右ヌツチエを持つた手でこれを振るのである。ところが、右の作業にあたつていた被告の被用者である訴外小田部昭(本件事故で死亡した)は、その不注意から持つていたヌツチエを床に落してしまつた。落ちたヌツチエは手で振つた反動もついていたので、床上にこぼれている乾いた過酸化ベンゾールの粉末に衝撃を与え、そこで発火し、つゞいて同室内においてあつた多量の未乾燥過酸化ベンゾールに引火して一斉爆発となり、次に隣室の乾燥室中の過酸化ベンゾール並びに乾燥済のものに引火して同時に爆発し、更に別棟の精製室にまで引火して大爆発となり、同室で作業中の石井光夫を死亡せしめたものである。

仮りに小田部の過失でないとすれば、本件事故は同じく被告の被用者徳永謙治(本件事故で死亡した)の過失によつて生じたものである。即ち、同人は旧精製室において未乾燥の過酸化ベンゾールを琺瑯製のバスに入れて隣室の乾燥室へ運搬中、誤つて右バスをとり落したため、それが床上の過酸化ベンゾールに衝撃を与え、これによつて前記のように爆発事故を起したものである。

いずれにしても、本件爆発事故は被告の右被用者等のいずれかの過失により生じたものであるから、被告はその使用者としてこれによつて生じた損害を賠償すべき義務がある。

四、損害の内容

(一)  石井光夫の損害

(イ) 得べかりし利益の喪失

光夫の死亡当時の月収は金一万四千円(基本給九千百円、職務手当千円、精勤手当千五百円、家族手当千円、時間外手当平均約千四百円であり、年収は十六万八千円である。そして、光夫は当時二十五才であつて、我国における平均余命表によると、同人はなお四十二年間生存し得るものであるから、右年収より生活費として三割を控除した金十一万七千六百円に残生存年数四十二を乗じ、これをホフマン式計算により中間利息年五分を差引いて事故当時における一時払額に換算すると、金二百六十二万二千四百八十円になる。これを光夫の得べかりし利益である。

(ロ) 慰藉料

光夫の死因は前に述べたとおりであり、その死亡場所は建物の一階出入口を出たところであつたから、あと僅かで逃れ得るところまで来ていたわけであり、おしくも力つきて死亡したものである。だからその苦痛は非常に大きかつたものといわねばならない。同人は昭和四年十一月二十四日生れで、昭和二十七年三月法政大学法学部を卒業して被告会社に入り、将来幹部職員として嘱望されていたものである。よつて慰藉料は金三十万円を相当とする。

以上(イ)(ロ)の合計二百九十二万二千四百八十円は光夫の蒙つた損害であるが、同人には子がなく、妻と両親たる原告両名が相続人となり、原告等は民法所定の相続分により右損害賠償債権の四分の一に相当する七十三万六百二十円の債権を承継取得したものである。

(二)  原告等の固有の損害

(イ) 慰藉料

原告石井勘吉は、大正十二年九月、当時の鉄道省札幌鉄道管理局経理課函館倉庫に奉職して以来約三十年間同省に勤務し、昭和二十七年一月退職し、その後は東京都板橋区志村仲台町に家屋を買求め、こゝで光夫と共に暮していた。光夫は三男ではあるが、長男は幼少にして病死し、二男は他に世帯を持つているので、原告等としては将来光夫の世話になるつもりでいた。原告勘吉は学歴なく、小学校卒業後直ちに社会に出て苦難をなめたので、せめて子供達には十分な教育をうけさせようと考え、当時下級の鉄道職員として薄給の身であつたが、原告サキと共に苦労して生計をさいて、二男は法政大学経済学部を、三男光夫は同大学法学部を卒業させた。原告勘吉の同僚では子弟を大学まで卒業させたものは殆どいない。そして、昭和二十九年末には光夫に妻を迎えることになつたので、両親は一時別居すべく、同年六月一日北海道鉄道用品作業株式会社に入社し、肩書地において老夫婦二人のさゝやかな生活を送つていたのであつて、三男光夫を年若くしてしかも不慮の災害によつて失つた原告等の精神的打撃はまことに甚大である。その慰藉料は各十万円をもつて相当とする。

(ロ) 弁護士費用

原告等は被告に対ししばしば相当の慰藉方法を請求してきたが、被告はこれに応じないので、やむなく本訴請求をした次第である。そして、弁護士に委任して、その費用として金十五万円を支払つた。これも亦本件不法行為により原告等の蒙つた損害である。

右のとおり原告各自の損害は相続によるもの七十三万六百二十円固有の慰藉料十万円及び弁護士費用七万五千円、以上合計九十万五千六百二十円である。故に、右金員及びこれに対する訴状送達の翌日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三、答弁

一、請求の趣旨に対する答弁

原告等の請求を棄却する。

訴訟費用は原告等の負担とする。

との判決を求める。

二、請求の原因に対する認否

第一項の事実は認める。

第二項中、事故発生当時、被告工場に合計四二六〇キログラムの過酸化ベンゾールが貯蔵してあつたこと、工場建物の設備構造が原告主張のとおりであつて(ただし、別棟の精製室は二階建である)いわゆる工作物の設置保存に瑕疵があつたこと、石井光夫は事故発生の際別棟の精製室の階上で作業に従事していたが、逃げきれずに同室の階下で中毒死したことはこれを認めるがその他の事実は争う。

第三項中、旧精製室が瀘過作業室であつたこと及びその作業の操作が原告等主張のとおりであることは認めるが、その他の点は争う。

第四項中、(一)の(イ)のうち、石井光夫の月収及び年令の点、(一)(ロ)のうち、光夫の死亡場所、生年月日及び学歴の点はいずれも認めるが、その他の事実はすべて争う。

三、被告の主張

(一)  本件事故の発生は不可抗力である。

本件事故は過酸化ベンゾールの衝撃による急燃焼に基因するものであるが、その過酸化ベンゾールの化学性質に鑑み、その製造につき完璧な事故防止をすることは専門的立場から検討しても殆ど不可能に近いと見らている。

けだし、過酸化ベンゾールを製品化するためには、粗製過酸化ベンゾールを溶解槽に入れ、トリクレンを加えて溶解し、これを結晶槽に導き水を加えて結晶させ、分解槽で分離した上、通風乾燥を行つて完全に乾燥させて完成するのであるが、性質上、粗製過酸化ベンゾールは衝撃発火の感度が鈍いのに反し、製品化した純過酸化ベンゾールは極めて感度が高く、従つて、もし危険防止だけを目的とする見地から製品化することを望むならば、過酸化ベンゾールを湿つた状態のまゝ、或いは濃度を二〇ないし三〇%に稀薄にした状態のまゝ製造出来れば望ましいが、現在の技術を以つては未だその方法を発見するまでに至つていないのである。

よつて、いかに工場建物の構造を改め、或いは従業員の監督に努力を尽しても、製造上の危険を完全に防止することは不可能に近いわけであり、原告の云うように設備の瑕疵があるからといつて、これを以つて直ちに事故の直接原因とみることは失当であるといわねばならない。

(二)  本件には失火ノ責任ニ関スル法律が適用さるべきであり、被告には同法にいわゆる重過失はない。

本件事故はいわゆる「失火」であるから、仮りに被告に民法所定の不法行為責任があるとしても、特別法たる失火ノ責任ニ関スル法律を適用し、被告に重過失あるときに限り責任があるというべきである。

元来被告は工業薬品及び医薬品の製造販売を主たる目的として設立された小資本の会社であるが、同類の大資本攻勢と激烈な販売競争のため社運は久しく悲境を重ねた末、過酸化ベンゾールの生産販売に切りかえてから、漸く社運維持の見透しが立ち始めた矢先、本件事故に遭遇したものである。同例の事故としては、昭和二十九年七月頃保土ケ谷化学工業株式会社の場合があり、本件事故後における事故としては、東京合成化学、第一化成、鈴木化学等の各会社の場合がある。しかし、本件事故以前において、保土ケ谷化学の場合など事故の直接原因はすぐには解明されなかつたのであり、被告としては折角の前者の轍も参考にならなかつた憾みがある。即ち過酸化ベンゾールが引火性、発火性に強いことは衆知のところであつたから、取扱上火気は厳禁していた。しかし、これに対して衝撃を加えると引火し爆発を誘起することについては、当時としては業者間の認識が浅かつたといえる。それはとにかく、被告としては常に従業員に対して火気を厳禁し、かつ、危険物取扱免許者を各職場に配置し厳重に災害防止に努めていた。本件の被害者石井光夫も乙種免許者の一人であつた。

そして、工場の構造設備の点については、消防法、都条例等の定めがあるけれども、同法の厳格な規定に適うためには工場設備について莫大な資本を投下せねばならず、一朝一夕には完全設備を施すことは至難である。この点は他の同業の会社についてもいえることであり、ましてや弱小資本力しか有せず、従来悲境にあえいできた社運を回復すべく努力を傾注していた被告としてみれば、早急に設備全般の改良に著手することは極めて困難であり、かつ、期待し難い実情にあつたわけである。しかし、それだからといつて、被告は設備の改善を故意におろそかにしていたわけではなく、資本の充実に応じて逐次法規の建前に近ずくべく絶えず努力していた次第である。従つて、建物の設備について法規を遵守していなかつたからといつて直ちに被告に失火ノ責任ニ関スル法律にいう重過失があつたとはいえない。

(三)  被告は石井光夫の遺族(妻つる子及び原告等)に対し、誠意ある補償を行つた。

まず、事故後遺族はじめ関係者を招いて盛大な社葬を行い、又一回忌の催しも挙行した。

次に、石井光夫の事故死については、妻つる子(現在は再婚し近藤つる子という)及び父石井勘吉に対し次の金員を交付した。

死亡弔慰金 二十五万円

埋葬料     二万円

退職金   二万五千円

香典      三万円

労働者災害補償金

遺族補償費 四十五万四千七百四十円

葬祭料    二万七千二百八十四円

以上合計 八十万七千二十四円

右のうち、労災補償金は、労働基準法第七十九条に則り平均賃金の千日分が遺族補償として、又その六十日分が葬祭料として算定されたもので、これは主として物的損害を考慮したものとみるべきである。

死亡弔慰金、埋葬料、退職金及び香典(合計三十二万五千円)は、被告が法規の定めによらず全く自主的に交付したものでこの中どれが物的損害に対する賠償であり、どれが慰藉料であるかは当時明示したわけではないけれども、埋葬料及び退職金は物的損害に対する賠償であり、死亡弔慰金及び香典は慰藉料であると考えるのが相当である。なお右慰藉料は被害者光夫自身に対する慰藉料と遺族たる原告等に対する慰藉料とを含めた意味で支給したものである。

右交付金の妻つる子と両親たる原告等との分配は次のとおりである。

原告等は、

三十二万五千円………………被告の自主的交付金全部、

八万円……………………労災補償金の一部、

合計四十万五千円

つる子は、

四十万二千二十四円…………労災補償金より原告等取得分八万円を差引いたもの、

なお、労災補償金の分配については原告等とつる子との間で争となり、東京家庭裁判所で調停事件となつたが、原告等には受領権がなかつたため、同人等の懇請により被告会社代表取締役白幡梧郎が右両者間の仲裁に尽力し、結局、つる子が一旦労災補償金を同人名義で受領した上、その中より八万円を原告等に交付して、両者の取得分を大体半々とすることに定めたものである。

被告としては、本件事故により死亡した徳永謙治に対し約六十八万円、小田部昭に対し約六十五万円を支給し、又、傷害を受けた斎藤定雄に対しても相当額の補償に努め、他方、本件事故により建物、設備機械、製品等の実損害は約千五百万円以上にのぼり、一時は会社の再建さえも危ぶまれ、今日でもなお被害の影響を脱却できない状態である。こうした苦境のうちにありながら、被告が前記のような措置をとつたことは被告の誠意を如実に示して余りあるものというべきである。因みに、本件事故の前例たる保土ケ谷化学の場合をみるに、強大な資本力を有する同会社が死亡者に対して支給した金額は、勤続五年九ケ月の者に対し六十五万円、勤続七年十一ケ月の者に対し金七十万七千円である(支給項目の内訳は本件石井光夫のそれと同一である)。

(四)  光夫の得べかりし利益について、

事故当時、光夫の収入では光夫夫婦の生計を維持するのに精一杯で、生活費を控除すると殆ど残るところはなかつたものと思料される。そして、判例によれば生命侵害に対する得べかりし利益の算定基準は、収入から生活費その他の費用を控除したものであるから、原告等のこの点の請求は失当である。

(五)  弁護士費用について、

原告等の主張する弁護士費用十五万円は算定の基準に合理性がないばかりか、ドイツの民事訴訟法と異なりわが民事訴訟法では弁護士強制主義を採用していないこと及び訴訟費用に関する民事訴訟法第九十条の建前からみても、この点の原告等の請求は理由がない

(六)  労働基準法第八十四条第二項の規定による被告の免責について、

被告は前記(三)で述べたように損害の補償をしたのであるが、そのうち労災補償金四十八万二千二十四円については、その現実の受領者が誰であつても、被告は右価額の限度において損害賠償の義務を免れたものである。何故なら、現行法の労働基準法第八十四条第二項、労働者災害補償保険法第十二条第一項、同法施行規則第十六条の各規定は旧工場法第十五条の二、旧労働者災害扶助法第四条の二等の規定の趣旨を受ついで制定されたものであり、これら旧法につき、扶助金交付の相手方如何に拘らずその限度において事業主は民法による損害賠償の責を免れるものと解するのが、一般に自明のこととされていた(判例民事法昭和十六年度九十二事件参照)のであるから、現行法についても同様に解するのが相当だからである。

第四、被告の主張に対する原告等の答弁

一、本件には失火ノ責任ニ関スル法律の適用はない。

本件事故は過酸化ベンゾールという爆発物の取扱中これが爆発により発生した事故、即ち爆発事故であり、失火ではないから失火ノ責任ニ関スル法律の適用はない(大審院明治四五年(オ)第二六四号、大正二年五月判決、民法判例総覧債権各則下六八八頁)。

二、原告等は被告から賠償を受けたことはない。

被告が光夫の遺族に対して交付したと主張する金員は全部光夫の妻つる子が単独で受領したものであつて、原告等は関知しない。なお、香典三万円はつる子も受領していない。もつとも、原告等が光夫の葬儀を郷里で営んだので、その費用の分担をつる子に要求したが応じないので、原告サキがその分担につき東京家庭裁判所に調停を申立てた。その結果つる子から石塔代として原告サキに対し十八万円を贈与することになり、その交付をうけたことはある。

三、労働基準法第八十四条第二項による被告の免責について、

被告主張の金員はつる子が受領したものであるから、つる子が原告となつて民法上の損害賠償を求めた場合には、被告はつる子に対し免責を受けることができるであろうけれども何ら支払をうけていない本件原告等の請求に対し免責を主張するのは筋違いである。仮りに然らずとするも、被告主張の根拠は死者の得べかりし利益の喪失が保険金交付の限度で填補されたというにあるから、被告が原告等に対し免責をうけるのは遺族補償金四十五万四千七百四十円の中、原告等の相続分たる二十二万七千三百七十円を原告両名で二分した十一万三千六百八十五円の限度に止まるべきものである。なお、葬祭料は労働基準法上特に使用者に対して命ぜられた負担であつて、何等損害の填補たる性質を有するものではないから、葬祭料の支給をもつて、民法上の損害賠償を求めている原告等の請求に対し免責を主張することは許されない(大阪高裁昭和二九年九月二九日判決、民集七巻一〇号七八一頁参照)。

第五、証拠関係

一、原告等は、甲第一ないし第五号証、第六号証の一ないし八、第七号証の一ないし四、第八号証の一ないし五、第九、第十号証を提出し、証人石井覚、原告本人石井勘吉及び石井サキの供述を援用し、乙第一号証、第五号証の一、二、第八、第九号証の各一、二の成立を認め、その余の乙号証の成立は不知と述べ、

二、被告は、乙第一ないし第四号証、第五ないし第九号証の各一、二を提出し、証人近藤貞三、山崎猶好及び被告代表者白幡梧郎の供述を援用し、甲号各証の成立を認め、甲第四、第五号証、第六号証の二、三、八、第七号証の二、第八号証の一ないし五、第九、第十号証を利益に援用した。

理由

昭和三十年一月二十日、被告の工場で過酸化ベンゾールの爆発事故が起り、同工場で作業中の原告等の三男石井光夫が爆発ガスによる一酸化炭素の中毒によつて死亡したことは当事者間に争がない。しかして、本件の爆発事故が過酸化ベンゾールの衝撃による急燃焼に基因するものであることは被告の自認するところであつて、この事実と成立に争のない甲第六、第七号各証及び同第五号証並に証人石井覚の証言を綜合すれば、右の爆発事故は、原告主張のように、被告工場の工員小田部昭が過酸化ベンゾールの瀘過作業中に誤つてヌツチエを床に落したゝめ床上の過酸化ベンゾールがその衝撃によつて発火したか、または同じく被告工場の工員徳永謙治が過酸化ベンゾールを容れた琺瑯製バスを運搬中に右バスをとり落したゝめ、それが床上の過酸化ベンゾールに衝撃を与え、ベンゾールが発火して起きたものと推認され、他にこの認定を左右すべき資料はない。過酸化ベンゾールがきわめて引火性発火性が強いものであることはこれまた当事者間に争のない事実であるから、作業中にヌツチエやバスをとり落すというようなことは工員の過失であるこというまでもないところであるから、被告の不可抗力の抗弁は理由がなく、被告は使用者として右事故によつて生じた損害を賠償する義務がある。

被告は本件事故には失火ノ責任ニ関スル法律の適用があり、被告には重過失がないから責任はないというが、右の法律はいわゆる火気の取扱を失して火を発した場合における責任を定めたもので、本件の場合のように過酸化ベンゾールの衝撃による発火についてはその適用がないものと解するのが相当である。のみならず、被害者光夫は、前記のように、爆発ガスによる一酸化炭素の中毒によつて死亡したものであるから、火災による死亡とも認め難いので、被告の右の主張も採用しない。

よつて損害額について判断する。

まず、光夫の得べかりし利益の喪失について。

光夫は死亡当時二十五歳才あつて、その月収が一万四千円であつたことは当事者間に争のないところであり、成立に争のない甲第八号証の一、二(総理府統計局第七回日本統計年鑑昭和三十、三十一年)によれば、わが国における二十五才の男子の平均余命は四十二年であるから、本件事故がなかつたとすれば、光夫はなお四十二年間生存し得たものと推定する。しかして、証人石井覚及び原告石井勘吉の供述によれば、光夫は妻つる子と二人暮しで父の勘吉が買求めた公庫住宅に住んでいて、一月約三千円位の掛金や地代を負担し、収入一杯の生活をしていたことが認められるので光夫一人の生活費は一ケ月七千円とみるのが相当である。死者の得べかりし利益を算定する場合には、その収入から死者本人の生活費のみを控除し、家族の生活費まで差引くべきものではないから、月収一万四千円から光夫本人の生活費を控除した残金七千円が光夫の一ケ月における得べかりし利益であり、四十二年間のそれは三百五十二万八千円となること算数上明白である。これをホフマン式計算法により事故発生当時の一時払額に換算すると金百十三万八千六十五円になる。これが光夫の得べかりし利益である。

次に、光夫の慰藉料について判断する。

光夫は、死亡当時二十五才であつて、昭和二十七年三月法政大学法学部を卒業し、昭和二十八年五月被告会社に入社したものであることは当事者間に争がなく、原告石井サキの供述によれば光夫は昭和二十九年五月つる子と結婚して両親たる原告等と別居して夫婦二人だけで円満に暮していたことが認められ、この認定を左右すべき資料はない。結婚後わずか八、九月で本件事故にあい、作業中の別棟の精製室の階上から逃げだしたがついに逃げきれず、一階出入口を少し出た所で力つきて死亡したのである(この点は当事者間に争がない。但し、作業場所が三階か二階かについては争があるが、この点はさして重要な事柄ではないので判断を省略する。)から、光夫の蒙つた精神的損害はけだし甚大なるものというべく、その慰藉料は原告等主張のように金三十万円をもつて相当であると認める。

右の得べかりし利益と慰藉料との合計百四十三万八千六十五円が本件事故によつて光夫の蒙つた損害であるが、成立に争のない甲第一、第二号証によれば、光夫には子がなく、妻と両親が相続人であることが認められるから、両親たる原告両名は各自右金額の四分の一にあたる金三十五万九千五百十七円の損害賠償債権を相続により取得したものといわなければならない。もつとも、本件では、光夫がその生前に慰藉料請求の意向を表明した旨の主張も立証もないが、慰藉料請求権は当然に相続の対象となると解するのが相当である(この点の詳細については、当裁判所昭和二十八年(ワ)第一二七号損害賠償請求事件の昭和三十二年五月十日言渡判決、判例時報昭和三十二年六月十一日号四頁参照)から、右の点は原告等の慰藉料請求権の相続を肯定する妨げとならない。

次に、原告等の固有の慰藉料について判断する。

原告等が三男光夫の死亡によつて精神上多大の損害を蒙つたことは経験則上明らかなところである。しかして、慰藉料額の算定に当つては、事故発生当時における諸般の事情を参酌すべきは勿論であるが、その後の事情をも考慮して社会的な標準によつてその数額を定めるのが相当であると考えるので、この点に関する証拠を検討すると、成立に争のない甲第九、第十号証、被告代表者白幡梧郎の供述により成立を認めうる乙第二、第三号証、成立に争のない乙第五、第六、第九号証の各一、二証人石井覚、近勝貞三、山崎猶好、原告両名及び被告代表者白幡梧郎の各供述を綜合すると、次の事実が認められる。

(1)  被告は、事故発生后に光夫の社葬を行い、又、その一周忌の催をも行つて弔意を表し、原告等も被告の誠意ある措置に感謝していた。

(2)  また、被告は、光夫の妻つる子及び両親たる原告等に対し、死亡弔慰金二十五万円、埋葬料二万円、退職金二万五千円及び香典三万円、合計三十二万五千円を交付している。右のうち香典以外のものはつる子を名宛人として交付されているが、その実質はつる子一人に交付されたものではなく、光夫の遺族たるつる子及び原告両名に対して被告の誠意を披瀝して敬弔のまことを表するため一括して贈呈されたものであつて、原告等もその趣旨を諒知していた。もつとも、右のうち退職金は被告の給与規定に基ついて支給されたものであるから、これを慰藉料算定の資料とすることはできないが、その他の費目はいずれも被告の誠意に出でたものである。

そして、前記死亡弔慰金、埋葬料及び退職金合計二十九万五千円はつる子名義で富士銀行池袋支店に預金されたが、印章は原告勘吉の印章を使用し、原告等においてその払戻をうけて光夫の仏事の費用等に使用していたが、その後、原告サキがつる子に対し光夫の葬儀費用の分担を求めて東京家庭裁判所に調停を申立て、その結果つる子がサキに対し、右預金の残金十一万千百一円及びこれとは別に金七万円を増与する旨の調停が成立し、結局死亡弔慰金、埋葬料及び退職金は全部原告等が取得した結果になつている。

(3)  光夫の死亡后しばらくして妻つる子は独立した生活を求めて実家に帰つていつた。そして、その后に労働者災害補償金として遺族補償費四十五万四千七百四十円及び葬祭料二万七千二百八十四円(この分は被告が受領を辞退してつる子に取得せしめたものである)を受領した。こうなると、原告両名ことに原告サキの心中には事態公平ならずとする穏かならざる心境が生じ、原告サキはしばしば被告会社の社長白幡梧郎を訪ねて、それとなく原告等に対しても好意ある配慮を願いたい旨を婉曲に申し出て、且つ、つる子の取得分を原告等に分与するよう斡旋方を求めてきた。白幡社長は原告サキの依頼に応じてつる子と原告等の取得分が半々になるようにつる子に労災補償金の分与方を勧めたが、つる子はこれに応じなかつた。そこで白幡社長は原告サキに家事調停の申立を勧めその結果、前記調停が成立するに至つたものであり、また、原告勘吉が被告会社に勤務すれば、それが名目上の勤務でも相当の給与を支給する用意がある旨を告げ、原告等に対してその誠意を披瀝するに努めたので、原告等はむしろ被告の好意を喜び、格別に不満の様子もなく、現に光夫の墓碑名もわざわざ白幡社長に依頼して書いてもらつている事実が認められる。

当裁判所は、右に認定した諸般の事情を参酌して、原告両名の精神的苦痛はすでに慰藉されているものと認めるのが相当であると考える。原告等は、各自の受けるべき慰藉料は金十万円が相当であると主張する。当裁判所も、事故発生当時を基準にして考える限り、原告等の主張する慰藉料の額が過大に失するものとは思わない。不法行為による損害賠償の額は行為当時を基準として金銭をもつて算定するのが原則であるから、この原則によれば、慰藉料請求権も亦行為当時を基準として算定され、その算定されたところに従つて一定額の金銭債権として定立し、爾后は弁済や免除等の債務消滅原因によつてのみ消滅すると解する外はないようにみえるが、当裁判所は、こうした考え方は慰藉料の特殊性を無視した不合理なものであると考える。不法行為によつて生命を失つた被害者の遺族に対して加害者が誠意を披瀝して有形無形の慰藉方法を講じた場合には、社会的な標準からすれば、それによつて遺族の精神的苦痛は軽減されたものと認めるのが相当である。ところで、例えば、加害者が弔慰金や見舞金を贈つて弔意を表した場合にこれを慰藉料債務の内入弁済とみることは事態にそわないだろうし、遣族の窮状を軽減するため住宅や就職先を斡旋したような場合にも、その尽力を金銭に換価してその限度で慰藉料債務の一部弁済があつたとすることもできないだろう。だからといつて、こうした措置がとられた場合にも加害当時の慰藉料請求権が少しも減縮せずにそのまま存続するものと解することは非常識のそしりを免かれまい。こうした点を考えると、慰藉料請求権は当該の不法行為によつて通常生じ又は生ずるべき精神的苦痛を標準として、口頭弁論終結の時までに生じた各般の事情を斟酌して弁論終結の時を基準として社会的標準によつてその額を定めるのが相当であることがわかる。従来の裁判例もとりたてゝはこの点を明示してはいないが、右のような考方を当然の前提としているものと思われる。このように考えるので、当裁判所は意識的に事故発生当時における原告等の慰藉料請求権の数額を確定せず、前記認定の各般の事情からみて原告等の慰藉料請求権は被告のとつた措置によつてすでに消滅しているものと判断したのである。

原告等は弁護士費用の賠償を求めているが、この点は立法論としては格別、現行法の解釈としては応訴行為がそれ自体で不法行為を構成する場合の外は、加害者にその賠償義務がないと解するのが相当である(昭和一八年一一月二日大審院民事刑事総連合部判決、民集第二二巻一一七九頁参照)から、被告の応訴行為が不法行為たることについて何等の主張立証がなく、審理の経過に徴しても不法行為と認むべき事跡の認め難い本件においては原告等の右の請求はこれを排斥せざるを得ない。

最后に、労働基準法八四条二項の規定を根拠とする被告の免責の抗弁について判断する。

成立に争いのない甲第四号証によれば、光夫の妻つる子が労働者災害補償保険法の規定に基づき遺族補償として金四十五万四千七百四十円及び葬祭料として金二万七千二百八十四円、合計金四十八万二千二十四円の給付を受けたことが認められる。被告は、右金額のうち八万円は原告等が受領したものであると主張するが、かゝる事実は証拠上全く認められない。もつとも、前に認定したように、東京家庭裁判所における調停の結果、つる子から原告サキに対して預金残額とは別に金七万円を贈与することになつたが右の七万円がつる子の受領した災害補償金の一部から支出されるものであつても-証拠関係からすればこのように認められる-右の七万円の贈与は、つる子が保険給付を受けた後におけるつる子と原告サキとの間の内部関係の問題であるから、右贈与をとらえて、保険給付の一部が原告等に対してなされたものということはできない。この点に関する被告の主張は失当である。

さて、労働基準法八四条二項は、「使用者は、この法律による補償を行つた場合においては、同一の事由についてはその価額の限度において民法による損害賠償の責を免れる。」と規定している。この免責の規定が、労働者災害補償保険法の規定により保険給付がなされ、これによつて使用者が災害補償の責を免かれた場合にも適用さるべきものであることは保険制度の目的からいつて当然のことだろう。右の免責規定は一見きわめて明瞭のようにみえるが、労働者が死亡して遺族補償や葬祭料が支払われた場合には災害補償の受給権者と民法上の損害賠償請求権の相続人が必ずしも一致しない場合が多いため、解釈上さまざまの問題が生ずる。例えば、死亡した労働者の遺族が妻と両親で、損害賠償額が百万円、災害補償額が六十万円で、この補償金が受給権者である妻に支給され、妻は損害の賠償を請求せず、両親だけが請求訴訟を起したとする。使用者は両親に対して免責されるのかされないのか。免責されるとして、六十万円の限度で免責されるのか、それとも内五十万円は損害賠償請求権に対する妻の相続分五十万円に対する関係で免責され、残り十万円の限度で両親に対して免責されるのか。十万円の限度で免責されるとした場合も、父だけが請求して母が請求しない場合には父に対して十万円全額の免責をうけるのか、それとも右の十万円も相続分に応じて二分され、五万円の限度でのみ免責されることになるのか、もし前者だとすれば、請求の前后によつて父母の権利に差等が生ずることになるだろうし、後者だとすれば、母がついに請求しなかつた場合には使用者は過当に免責される結果に終らないか。具体的に考えてゆくと、その他いろいろの問題が生ずる。ことに、受給権者が内縁の妻のように全く相続権がない場合には問題は一段と深刻な形をとることになる。こうした各種の問題を考えて統一的な解釈を打ちたてようとすれば、使用者が災害補償をした場合には損害賠償請求権は当然その価額の限度において消滅し、残余の請求権が相続分に応じて各相続人に移転すると解釈するか、または使用者は災害補償金の受給権者に対してのみ補償額を限度として損害賠償の義務を免かれ、受給者以外の相続人に対しては全然免責の効果を主張できないと解釈するか、二者いづれかそのひとつを択ばざるをえないように思われる。法規の文理からすれば、前者がおそらく正確な解釈であるように思われるが、これは実質的にみると、災害補償を損害賠償の前払ないしは内払として扱うものであつて災害賠償制度と損害賠償制度を混同する嫌が多分にあつて、その当否はきわめて疑わしいように思われる。災害補償は損害賠償責任の有無とは何等かかわりのない使用者の法定義務である。従つて、使用者に不法行為上の賠償責任がある場合に使用者が法定の災害補償を行つたからといつて、補償をうけた受給権者に対しては格別、全然補償をうけない他の損害賠償請求権者に対してまで他人に対する補償を理由に免責の効果を与えることは明らかに行き過ぎであつて、現に補償をうけた損害賠償請求権者に対してのみ損害の二重填補を避ける意味で補償の価格を限度として免責させれば足ると解するのが相当であると思う。こうした解釈をとると、内縁の妻のように相続権のない者が受給権者である場合には、使用者は全然免責をうけ得ないことになり、条文の字句にも反し、実質的にも使用者に苛酷な結果になるが、労働基準法の冒頭に明らかにされているように、災害補償が「労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすため」に設けられた使用者の法定義務であることを考え、かつまた、労働者災害補償保険法による保険制度が設けられていることに想を致せば、使用者に苛酷になるからという理由だけで右の解釈を排斥することはおだやかでないし、条文の字句も法の精神に従つて特殊の場合には特殊に解釈すべきものであるから、この点の非難も亦あたらないだろう。要するに、当裁判所は、受給権者からする損害賠償の請求に対してのみ使用者は災害補償による免責を主張できるにすぎない、と解釈するのである。本件の場合に、受給権者として災害補償をうけた者は前記のように妻つる子であつて、原告等ではないから、右の補償による免責を云々する被告の抗弁は採用できない。

これを要するに、原告両名の本訴請求は原告等が相続によつて取得した前記損害賠償債権金三十五万九千五百十七円及びこれに対する訴状送達の翌日たること記録上明らかな昭和三十一年十二月二十九日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分に限り理由があり、その余は失当なので、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条、第九十三条を、仮執行の宣言につき同法第百九十六条第一項を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 石井良三 高橋久雄 石川良雄)

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